日本研究の日本とは
2009/03/11 當山日出夫
松田清さんが「日本研究のかげり、その対策」として書いている。
松田清のtonsa日記 2009年3月6日
http://d.hatena.ne.jp/tonsa/20090306/1236352851
欧米における日本研究の衰退という指摘をふまえて、日本の大学が持っている資料をオープンにすべきとの趣旨。
いろいろ考えるべきことがあると思うが、私なりに、天の邪鬼な視点からみれば、
まず、欧米から見たとき、日本研究とは独立する領域なのだろうか。例えば、浮世絵に限定してみれば、これは、日本独自の芸術であり、世界的に評価も高い。だが、その周辺にある、絵画芸術(水墨画などをふくめて)や、書芸術を視野にいれるならば、さらには、陶芸などもふくめた場合、研究の中心は、中国の方にある、といわざるをえない。
確かに、浮世絵など、日本独自のものはある。だが、浮世絵の多くは、役者絵(歌舞伎)にかかわる。そして、芸能についても、舞楽・能楽・狂言・歌舞伎、など、日本は独自の芸能文化を持っている。しかし、それも、民俗芸能をふくめて日本芸能史として語ろうとするならば、(少なくとも日本以外、欧米などの視点からみれば)、「東洋」における芸能の一部として論ずることになるだろう。
そして、一方では、現実に、日本以外から見た日本文化は、マンガ・アニメ、であることは、いまさら言うまでもない。そして、絵画表現の歴史をとおしてみるならば、現在の、マンガ・アニメこそ、日本文化の本流かもしれない。
このように考えるならば、日本研究の衰退というのは、要するに、いわゆる日本人が思っている日本文化(伝統的なもの)についての研究が、日本の研究の枠組み(大学の講座・学科・組織・学会など)において、衰退しつつある。これは、日本でも言えることであるし、また、海外の日本研究についてもいえること、ということになるだろう。
そして、いま、日本文化研究が、「デジタル」と「グローバル」を軸に展開しようとしている。このあたりのことは、別に書いた。
やまもも書斎記 2009年3月10日
『ARG』365:日本から見た日本文化と外国からみた日本文化
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/03/10/4165218
當山日出夫(とうやまひでお)