『電脳社会の日本語』

2016-08-21 當山日出夫


また、本棚から本を取り出してきてながめてみた。


加藤弘一.『電脳社会の日本語』(文春新書).文藝春秋.2000
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166600946


ざっと目をとおしてみての感想であるが、やはりこの本でも変体仮名の問題はあつかっていない。JIS規格の78年版から、83年版への変更にいたる問題などには、かなりのページをさいている。その書いてあることの内容について、いまここで触れることは避けておきたいと思う。それよりも、ここで問題にしておきたいのは、漢字の字体のことについてては、いろんな角度から論じていることである。日本国内のJIS規格の問題(78から83の問題)のみならず、漢字文化圏での各国の文字符号化の問題などが論じられている。

この本、補説として、いつかの文章が載っているのだが、そのなかに「古典の電子化と異体字」という文章がある。ここでいう古典とは、漢字で書かれた古典のことである。日本の変体仮名で書かれた古典をいっているのではない。(なお、この本の最後のところには、SATのことについて触れられているのは、今から読んでみると、これはこれで興味深いものがある。)

ともあれ、コンピュータと文字というと、基本的に二つの方向があるようである。

第一には、多言語情報処理

第二には、そのなかでも特に漢字の字体の問題、漢字文化圏でどう処理するか

これらの問題については、いろんな本があるわけだが、日本の仮名については、深く言及したものがないように見ている。(これから順番に本棚から本をとりだしてきて、見ていくことをしばらくつづけるつもりだが。)

だが、変体仮名というのは、どうもコンピュータと言語という問題のなかで、あまりまともに議論されてきてはいないように感じている。たしかに、現代では、今昔文字鏡やKoinフォントなどがあって、変体仮名を利用できるようにはなっている。だが、それは、ただ、あれば便利になったということで終わっているようにも思える。

日本語にとって仮名とは何であるのか、そして、その仮名をコンピュータであつかうことの意味はどこにあるのか、このような視点からの議論が、あまりなされてこなかったように、ふりかえって思うのである。