鷹は新常用漢字にいれるべきか

2009/04/01 當山日出夫

今日の読売新聞(YOMIURI ONLINE)では、三鷹市(東京都)が、「鷹」の字を「新常用漢字表(仮称」試案に、追加して欲しいむね、意見書を提出したよし。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090401-OYT1T00035.htm

白鷹町山形県
松浦市(旧鷹島町長崎県
鷹栖町(北海道)
も同様に、意見書を出すとのこと。白鷹町(しらたかまち)はすでに提出。

もともと固有名詞は「新常用漢字」の対象外であるので、論理的には無理な注文には違いない。だが、一方で、単純素朴に考えて「鷹」ぐらいは、「新常用漢字」に入っていてもよさそうな気もする。

今回の、「新常用漢字表(仮称)」で、明らかになったことは、都道府県名やその県庁所在地さえも、書けないという現状。現行の「常用漢字」に無いということは、当然ながら、教育漢字にも無い。小学校教育において、自分の住んでいる県の名前(例えば、〈鹿〉児島県・〈熊〉本県)が書けないというのは、常識的に考えればおかしな話しだと思う。

ただし、文字を市区町村まで拡大すると、収集がつかなくなるだろう。国語施策としては、この種の漢字は、自然に憶える。国語以外の科目(社会科)などであつかえばいい、ということになるのか。ここには、ほうっておいても自然に身につけるもので、あえて「表」に入れる必要がない、という考え方が根底にあるようにおもえるが、いかがであろうか。

この意味では、別に、「鷹」が「新常用漢字」に入らなくても、実質的に、困ることはない。三鷹市の小学生が、自分の住所を、絶対に「三たか」と書かなければならない、「三鷹」と書いたら「×」ということであるならば、問題。まあ、学年によっては書けなくてもかまわないにしても、漢字で書くことを禁ずるということは無い(だろう)。

「鷹」が「新常用漢字(仮称)」から外れることのデメリットは何だろう。また、「新常用漢字表(仮称)」に入ることのメリットは何だろう。

「新常用漢字」の議事録には「広場の文字」という表現が出てきたと記憶する(いま、何時のでと確認してはいないが)。これもまた、一つの「パンドラのはこ」。「広場の文字」、公共圏における日本語コミュニケーションとするならば、人名・地名を、正確に読む(あるいは書く)ということは、基本的なマナーである。この方向からは、日本語の表記全般、人名・地名の漢字表記と仮名表記、さらには、ローマ字表記、まで考えねばならない。

公共圏における日本語コミュニケーションと考えたとき、国語施策としての「新常用漢字(仮称)」の限界を見る。

ついでに言う、京都の地名(通りの名称)「七条」。いったいなんと読めばいいのか、ローマ字ではどう書くのか。「三鷹」とは違った深刻な問題があるのだが、こういうことは、「新常用漢字(仮称)」の議論の対象にはならないらしい。

當山日出夫(とうやまひでお)