「しょうがいしゃ」の表記の多様性こそ大事である
2009/05/27 當山日出夫
もじのなまえ
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090517/p2
ますます、泥沼状態(?)であるようなので、私の意見はこちらに。
「しょうがいしゃ」の表記「障害」「障碍」「障がい」とは、やや観点が異なるが、nazokouさんが、非常に貴重な指摘をしている。
それと、何も「障害者」に対する忌避感は2000年に多摩市が交ぜ書きの「障がい」を採用した時(≒「政治的に正しくない」という指向が広まった時期)から突発的に生じた訳ではなく、聴覚の分野では戦後(1956年に「書きかえ」で「障碍」が否定されて以降)の比較的早い時期から「聴覚障害者」を忌避し「ろう(聾)者」を自称として使用する傾向が有りました。「ろう者」も交ぜ書きですが、その意味は「聾」と「者」に分割可能なため「障がい」や「子ども」のように問題視されることは余り有りません。「盲人」と違って「ろう人」とされないのは「老人」と紛らわしいからだと思われます。
私のもうひとつのブログ「やまもも書斎記」の2009年5月9日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/05/09/4295485
で、『CUDカラーユニバーサルデザイン』に言及している。ここで、私は、医学用語として「色覚異常」の語を採用している。
この問題について調べると、様々な表現があることに気づく。
「色覚異常」
「色覚障害」
「色覚特性」
「色盲」
色覚異常である人が、あえて自ら「色盲」の語を使用している例もある。その代表が、
色盲の人にもわかるバリアフリープレゼンテーション法
http://www.nig.ac.jp/color/
このなかに、次の項目がある。
なぜ「色覚異常」「色覚障害」「色弱」などでなく「色盲」という言葉を使うのか?
http://www.nig.ac.jp/color/mou.html
さて、いまさら、「聾」「唖」を「新常用漢字表(仮称)」に追加しようということは無いであろう。だが、この漢字があることは確かであり、それを使う自由もある。(言うまでもないが、決して、差別を許容するものではない。)
ざっくりと言うならば、「しょうがい」に関係する用語については、表現のはばがあった方がよい。そして、その「ことば」をどのように「表記」するかは、それぞれの責任である。また、「ことば」「表記」を選ぶ自由もある。
一般論でいうことになるが、「差別」というのは、差別されていると感じる人間の異議申し立てによってしか、言明されない。それが、100%正しいとは限らないかもしれない。しかし、まず、その言説に耳をかたむけることからしか、問題の解決にむかうことはできない。
私は、「障碍」という表記を、可能な限り公的に認める方向で考えたい。たしかに、「常用漢字」を無視すればすむ。あるいは、条例を決めればすむ問題である。だが、その一手間をはぶく、よりハードルを低くする方向が望ましい。
これが、現時点での、私の意見である。
當山日出夫(とうやまひでお)