「碍」は新常用漢字表に入れるべきである

2009/05/26 當山日出夫

おがたさんの「もじのなまえ」での議論について。ブログのコメント欄で、いくら議論しても、内部の議論が、検索ですぐにヒットするというようにはなっていないので、ここに私なりの意見をのべておく。

私の結論から先にいえば、「碍」は、「新常用漢字表」に入れるべきである。

もじのなまえ
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090517/p2

nazokouさんのご意見、小形さんのご意見、その他のみなさん、それぞれに、どうもボタンの掛け違えがあるように感じる。お互いに批判しあってもしかたがない。「敵」(といっては語弊あるかもしれないが)は、「新常用漢字」の委員会の方である。「障害」「障碍」について、どのような問題点があるかを整理して、審議に反映させる方向に持っていくべきであろう。

このなかから、nazokouさんの発言を引用する。

個人的には「過去に遡っての批判は無意味」と言うのは非常に危険な発想だと思います。ハンセン病患者の隔離政策が医学的見地からも誤りであったと政府が公式に認めたのは20世紀末になってからですが、そうした事実が知られていなかった、指摘されてからも故意に見過ごしていた事実を「らい予防法が制定された時代に遡って批判しても意味があるのだろうか」と言えますか? 反省すべき所は反省し、糺すべきは糺すことを求めて行く際に過去の判断がその当時の人権感覚が現代と異なっていることを考慮したとしても妥当か否かを論じ、今後の改善に繋げて行くことが無意味だとは絶対に思いません。

この発言に、私は賛同する。批判すべきは批判し、反省すべきは反省すべきである。ただ、原則論としては、ということ。

話題を「障害」に限定すれば、私自身の感覚としては、差別用語とは思わない。ぎりぎり、グレーゾーンの範囲。確かに「障害」の用字に不快感をいだく人がいないではないであろう。しかし、「障害」でいいという人もいる。

これを「障碍」にいいかえることの効果としては、

・「害」という漢字の持つマイナスイメージを払拭できる
・「碍」も、漢字の意味としては、「さまたげるもの」であり、決してプラスイメージの意味の漢字ではない。
・しかし、「碍」の用例は、実際には、「障碍」(しょうがい)に限定される。つまり、「碍」の文字のマイナスイメージがより拡張することはない。むしろ、「障碍」だけにつかう文字として定着する。
・このような用例が特定される字としては、「璽」なども同様。(あえて、この字を同列にならべる。)
・たとえば、電気の配線に「碍子」(がいし)など、もはや一般家庭では使用しない。会社名も「日本ガイシ」になっている。
・表外字である「碍」が「新常用漢字」になることによって、少なくとも、公的に「碍」をつかうことへの抵抗は少なくなる(無くなるとはいえないであろうが。)
・かりに、逆に、「碍」が「新常用漢字」にならなくても(現行のままであっても)、使う人は使うであろう。「車椅子」「白杖」が、つかわれるように。

常用漢字/新常用漢字は、「ひろばのことば」であるならば、まず、少なくとも、委員会においては、議論のテーマとして議論を尽くすべきだ。理想はともかく、現実の社会に「しょうがいしゃ」という人がいることは確か。そして、その人たち自身の声を聞くべきではないか。

いま、普通に生活している人であっても、何か事故でもあれば、明日から急に「車椅子」や「杖」が必要になるかもしれない。

「しょうがいしゃ」をどう書くかは、われわれ自身全員の今の問題、なのである。

當山日出夫(とうやまひでお)