「漢字」と「ゆとり教育」

2009/06/04 當山日出夫

「鬱」という漢字が難しい、やめてほしい。という中等教育レベルの生徒の気持ちもわからないではない。だが、これが、「英語」だったらどうか。あるいは、「数学」や「理科」だったら。

そんな難しい英語の単語は覚えられませんから、教科書につかわないでください。私は、これからの人生で、二次方程式の解をもとめるような計算をするはずはありませんから、教えないでください。

このような生徒の発言に、すなおに、うなづけるだろうか。

バカ! あまったれるんじゃない。教育というのは、知的トレーニングの場なのであって、それを、実際に社会に出てつかうかどうかは、別の問題だ……と、反応が返ってくるのが、今の社会の趨勢であろう。いわゆる、「ゆとり教育」に対するゆりもどし、である。

では、このなかで、「漢字」の教育はどうあるべきなのだろうか。

はっきりいえば、「英語」よりも、日常的に身近な存在である。外国語ではなく、母語である「日本語」を表記するための文字なのであるから。そして、これは、狭義の「国語教育」の枠組みのなかでは、もはや論じることはできない。いまだに、日本の初等〜中等教育レベルでの国語教育は、文学教育(情操教育)と、言語コミュニケーション教育が、混在している。そして、大学生になると、大学生のための作文教育のカリキュラムを用意しなければならなくなっている。

漢字については、やはり、現実の日本語において、どう使用するかが、重要な観点になる。日本語のコミュニケーションのための、文字なのであるから。

現実的な妥協案としては、

(1)文化審議会・国語分科会としては、「目安」としての「新常用漢字表(仮称)」を決める。

(2)国語教育、および、日本語教育の現場において、この「目安」を再解釈した漢字表を作成する。特に、日本語教育の場合、表外字をかなり入れる必要がある。国語教育では、「教育漢字」外の漢字は、読めればいい、としてしまうのも一案である。国語教育学会、日本語教育学会が、ある。それぞれに、まかせるしかかないだろう。

だが、そのための前提として、現代日本語における漢字使用の実態を把握するための基礎資料としての、日本語コーパス、このデータの公開と共有ということが、必須であると考える。単に、「漢字表」を提示されて、この中から、漢字を選べというのは、無理である。まずは、判断のための基礎データの整備が必要。

今後、税金をかけておこなうべきは、今の日本語が実際にどうであるかを知り、将来の日本語を考えるための判断材料となる、基礎的なデータを、構築・公開・共有することである。

これを抜きにして、「鬱」の字が、難しいかどうか、読めればいい字であるかどうか、必要かどうか、の判断はできない。

日本語表記の基本的データと、試行錯誤の先にしか、日本語の正書法はない。

なお、ちなみに、「本やタウン」で「憂うつ」の書名検索をすると、30件のヒットがあった。

當山日出夫(とうやまひでお)

追記 2009/06/04

調べると、次の学会がある。

全国大学国語教育学会
http://wwwsoc.nii.ac.jp/nace/

日本国語教育学会
http://nikkoku.org/

日本語教育学会
http://wwwsoc.nii.ac.jp/nkg/

さらに追記 2009/06/04

この「鬱」の字の件は、おがたさんの「もじのなまえ」による。書き忘れた。
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090602/p2