常用漢字がかわれば漢字教育もかわる
2009/06/07 當山日出夫
おがたさんの「もじのなまえ」でのコメント takeiさん
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090602/p2
たとえば「吉」なら上が短くても字種は同じですが、「土」と「士」では明らかに字種が違う。「未」と「末」もそう。これをどうやって小学校低学年に教えますか? 不急かつ複雑な記憶事項が増えるだけです。
ざっくばらんにいえば、手で文字を書くのが主流であった時代、「土」「士」の区別は、
「土」には、「てん」を付加する
「士」は、そのまま
だいたい、筆で文字を書いて、線の長さの長短をきちんと区別するというのは、どだい無理なはなし。特に、近世の、実用的な書体においては。
・手書き書体と活字とでは、字体が異なる
これは、言い尽くされている。だが、忘れがちなのは、
・字体の区別の方式も異なる
という点である。
これを、いまさら、昔にもどせ、というわけにはいかない。現実には、現代日本語の筆写字体のお手本は活字である、という状況。活字は、一般には、明朝体。そのなかで、特殊な存在としてあるのが、教科書体。
字体の区別は、書体のなかにある。この階層的な構造関係を確認しておく必要がある。このことを明言しているのは、石塚晴通(敬称略)。
「明朝体と手書き書体とでは、字体の区別の仕方が異なる」という観点をもたないで、手書きと活字の関係を論じてもあまり意味がない。だが、このことを、教育の現場でどう教えるかとなると、これは難問である。
いっそのこと、初等〜中等教育においても、試験においては、辞書の持ち込み可という方向もありと考える。算数の時間に、電卓を使ってもいいという発想もあるように。
(1)暗記していて書けなければいけない字
(2)辞書をみて書ければいい字
(3)読めればいい字
(4)ワープロで正確に変換できればよい字
ここから先は、知的トレーニングとしての教育とは、という議論に拡大する。
すくなくとも、情報化社会における(コンピュータ利用における)漢字教育の見直しは、必要である。今のままの国語教育観で、「新常用漢字表(仮称)」を論じてはいけないと考える。
常用漢字がかわれば、教育における漢字もかわる、常識的に考えればあたりまえのことである。教育のためだけに漢字はあるのではない。日本語のコミュニケーションのために、国語教育・日本語教育がある。これが、私の意見。
當山日出夫(とうやまひでお)