ことばは変わるものである「憮然」「ぶ然」

2009/06/07 當山日出夫

おがたさんの「もじのなまえ」のコメント
[新常用漢字表] 「"鬱”を追加しないでください」
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090602/p2


で、小熊さんからの情報

ちょっとお知らせ。

 来週火曜日、6月9日のNHK総合クローズアップ現代」(19:30より)にて、漢字の話題が取り上げられるようです。
「ぶ然に憮然 〜社会が変わり始めた〜(仮題)」
http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei.html

 ゲストが井上ひさし氏という辺りで、方向性は見えますが、はてさて。

で、当該のNHKの番組の予告には次のようにある、

6月9日(火)放送予定
ぶ然に憮然
〜社会が変わり始めた〜(仮題)

学校教育で教えたり、行政・マスコミなどで使える漢字「常用漢字」。その27年ぶりの大改訂が行われている。背景には、パソコンの普及で「鬱」など「書けないけれど使える字」の増加がある。しかし議論は市民を巻き込んで過熱している。教育関係者は今の若者の「感字」的な誤字脱字(不安→木案)をあげ、手書きの大切さを主張。一方で、作家や言語学者は、制限すると逆に誤用が多発すると反論する。例えば「憮然」は本来「心をなくす状態→呆然とする」という意味だが、「ぶ然」とひらがなで教えることで「むっとする」と勘違いしてしまうと訴える。常用漢字は増やすべきなのか?そもそも制限するべきか?来年春の改訂に向けて進む議論を通じ、電脳社会のなかで揺れる漢字文化のありようを考える。
(NO.2747)

スタジオゲスト:井上 ひさしさん(作家)

では、「憮然」で表していたことが「呆然」と書くようになり、また、それと並行して「憮然→ぶ然」になることによって、意味がかわった。ただ、これだけのことではないか。

これで、日本語全体の語彙体系が根本的に変質し、また、日常のコミュニケーションに支障が生じている、ということではないだろう。

漢字は大事であるが、漢字にあまりに依存した日本語であるべきではない。考えるべきは、「漢字文化」(NHK)ではない。「日本語とその表記」なのだ。

當山日出夫(とうやまひでお)