文字の伝統は何時から考えるか

2009-08-07 當山日出夫

産経新聞の8月5日の夕刊(大阪版)に書いたこと。もちろん、「新常用漢字表(仮称)」について、である。この原稿を書きながら、あるいは、書いてから、ああ、このことが実は一番大事なのに議論されていない、と感じたこと。それは、

文字の歴史的な流れとは何であるのか。たとえば、当用漢字が戦後に制定された時点から考えるのか、近代の活版印刷史にさかのぼるのか、さらには、それ以前の版本や写本の時代まで考えるのか。そして、最も重要なことは、現在の日本語の表記を考えるときには、どの観点にたつべきかという点である。

自分で書いた文章(一太郎で残した原稿)からの引用。

どうも、これまでの「新常用漢字表(仮称)」をめぐる議論で、錯綜するのは、このあたりの論点が整理できていないからだと思う。特に、「しんにゅう」の点がどうのこうのという議論は、視点の設定によって、まったく論点が変わる。それは、いった何故か。

まず、このあたりをきちんと論点整理する必要があるだろう。まあ、論点の整理ができたからといって、それが、すぐに、合理的な合意に結びつくというわけではないかもしれない。しかし、将来にむけて文字を考える場合には、必要である。

また、さらに、文字コードの標準化という論点もある。

どの立脚点にたってそれぞれがものを言っているのか、これを明確にする。でなければ、単に「合意のためだけの合意」ということになる。

で、私の立場はどうかと問われると困るが(^^;) 全体を俯瞰したうえで、現状の文字コードを改変することなく、戦後の当用漢字制定以降の国語施策に沿った方向で、というぐらいか。

文字をわたる、解釈による運用、ということの可能性を考えたい。

當山日出夫(とうやまひでお)