内村鑑三の射程
2009/01/12 當山日出夫
「やまもも書斎記」で書いているように、昨年末から、内村鑑三全集のデジタル化の公開(出版)にむけて、あれこれと考えている。
基本は次のふたつ(私の考えるところ)、
・「売る」ということ。「ISBN」がついた形で、既存の、書籍販売ルートにのるようにする。ただし、あまり値段は高くしたくない。
・プレーンなテキストの利用を可能にしておく、ということ。現在あるデータは、岩波版の全集を、ワープロ「一太郎」をつかって、忠実に再現した、という性質のもの。ルビや圏点、ページ番号、柱、などふくめて、すべて忠実に再現してある。この中から、すくなくとも、本文(本行)のテキストを、自由につかえるようにしておく必要がある。
今から、企画を考えるのであれば、XMLの利用がまず念頭に浮かぶ。しかし、過去10年近くの歳月をかけて、平均年齢が70を超えると聞く人たちが、ひたすら精魂をこめて打ち込んだデータである。これはこれとして、価値がある。この努力を残さなければならない。
というようなことを考えながら、実は、内村鑑三をそう読んだというのではない。たまたま、縁あって(私の国語学の恩師である山田忠雄先生の関係で)、プロジェクトの中心である、斎藤みちさんと面識があったということ。だが、ここまで、かかわってしまったら、とことんつきあうしかない、と覚悟しないと。
ともかく、手元に「全集」を置いておくようにした。
ところで、内村鑑三を見ていくと、その系譜としては、南原滋、矢内原忠雄、につながる。その流れは、丸山真男へと続く。そうすると、福澤諭吉を媒介として、さらに、時代を遡っていく。おそらく、近代的な日本語文の成立において、福澤諭吉、内村鑑三などの与えた影響は、はかりしれないものがあるだろう。
これまで、文字のことを中心に勉強してきた。しかし、近代の日本語文についても、かかわることになるのか。これも、また、天命であろうか。山田忠雄先生の学恩に報いるためと思い、とりくむことにしよう。
いま、次の本を読んでいるところ。
萩原延寿・藤田省三.『痩我慢の精神−福澤諭吉「丁丑公論」「痩我慢の説」を読む−』(朝日文庫).朝日新聞社.2008
當山日出夫(とうやまひでお)