新常用漢字の当事者として

2009/01/14 當山日出夫

常用漢字表(仮称)について、あれこれ考えている。ただ、考えるだけでははなく、ワークショップの開催、それに、論集の編集まで、手を出している。

第1回のワークショップは、2008年7月19日(花園大学
第2回のワークショップは、2009年2月7日(国立国語研究所
それぞれに、「やまもも書斎記」の方からリンクしてあり、適宜、準備の進行状態や感想についても記してある。

また、論集の方は、『論集文字』として、第1回のワークショップの参加者に執筆してもらって、刊行の予定。ほぼ、原稿はあつまったので、もうじき本になる。

では、かえりみて、なぜ、これほどまでに、新常用漢字にかかわってきたのか。個人的には、何の利害関係もない。私は委員ではない。委員に知り合いはいるが。

確かに、研究者としては、文字、について研究論文など書いてきている。また、いわゆる「JIS漢字」について、日本語学研究の立場から、本格的に研究対象としてみた、おそらく最初の人間のひとりであろう。

根底にあるのは、当事者意識である、と思う。

文字は、それを使うひとびとのものである。JIS漢字は、当然ながら「JIS」であり、通産省(当時)が関与する。だが、実際にコンピュータに実装されて使うとなると、使っている本人が、その「当事者」である。自分のコンピュータで見える文字、プリントできる文字、相手(当時は、パソコン通信)が見る文字、これらが、どうなっているのか知らないことには、生活も研究も、できない。コンピュータで、使える文字はどうなっているのか知らないことには、研究につかえない。その意味もあって、JIS漢字を「大字典」で確認した。また、『和漢朗詠集』の漢字索引も作った。

実は、『和漢朗詠集漢字索引』は、それを作ることが目的・研究というよりも、コンピュータ(その当時は、PC-9801)で、どれだけのことが可能か(あるいは不可能か)試してみたかった、というのが正直なところである。

文字についての研究者は、JIS漢字や、新常用漢字表について、どれほど「観察者」でいられるだろうか。そのような視点・立場もあるだろう。しかし、私は、その道を選ばなかった。選ぶことができないで、今にいたっている。

常用漢字表への関心は、文字のことを研究しているからではなく、これが日本語の表記にどのような影響をあたえるか、日本語においてどのような意味があるのか、「当事者」として考えてみたい、ところに基本がある。そして、それは、研究者としてよりも、日本語をつかっているひとりの人間としてでありたい。「研究者」としてではなく、「ひとりの人間」としての「当事者意識」、このことについては、常に自覚的でありたいと思っている。

當山日出夫(とうやまひでお)