新常用漢字:国際化のなかの漢字

2009/03/19 當山日出夫

野村雅昭さんの、朝日新聞(2009年3月18日)に関連して、思うことをつづける。野村さんの文章に、ひとつだけ意見を述べる。

国際化のなかでの漢字、というと、多くの人が思い浮かべるのが、Unicodeであろう。このことに、私も異論はない。だが、それだけではない、とも思う。

「新常用漢字表」(仮称)は、「国語」の表記。つまり、狭義のいわゆる日本人。日本で生まれ育った日本語を母語とするひと、のため、である。

まずは、「新常用漢字」の根本的な問題点は、ここにあるとするのが私の考えるところである。しかし、それは、また、別に論じることにしよう。

これまで、常用漢字で、都道府県名が書けなかった(鹿児島・熊本・岡山・大阪・奈良・山梨・栃木・岐阜・愛媛、など)、これは、ある意味で「国語」を前提としているから、ともいえよう。「表」の外にあっても、日常生活において、自然と身につけるものであり、困らない。人名の漢字についても同様(法務省の規定とは別に。)したがって、野村さんのいう「鹿・熊」と「虎・鶴」は、この点(都道府県名漢字)において、レベルが分かれる。

しかし、国際化の中の日本語、その漢字となると、日本語を母語としない人が日本語学習においての目安、ということも考えなければならない。この意味では、都道府県名漢字は、常用漢字に入って当然だろう。(都道府県庁所在地として、札幌・那覇などまでふくめるかどうかは微妙である。公共性の観点からは、私は入れるべきだと思う。)

いや、それ以上に、「教育漢字」を見直して、その中にふくめるべきではないか。日本語を母語としないで、日本の学校教育をうけている小中学生がどれほどいるか。

国際化の中の日本語として漢字を考えるならば、見直すべきは「常用漢字」ではなく、「教育漢字」の方ではないのか。それも、現在の日本の状況を考えれば、小学校までではなく、中学、あるは、高校までを視野にいれて、再考の必要がある。

當山日出夫(とうやまひでお)