山元中学が消える

2009/03/19 當山日出夫

新聞で報じてはいたが、そう大きなあつかいではなかった。

山形県の山元小中学校が、今年度、最後の卒業生を送り出して、廃校になる。山元中学は、『山びこ学校』を生み出した学校。指導したのは、無着成恭。おそらく、日本の、学校教育史、作文教育史に、その名は残る。

以前、触れたこともある(やまもも書斎記)が、ふたたび確認してみたい。無着成恭と『山びこ学校』については、

佐野眞一.『遠い「山びこ」−無着成恭と教え子たちの四十年−』(新潮文庫).新潮社.2005(※オリジナルは、1992年、文藝春秋

それ以上に無着を困惑させたのは、子供たちの学力の低さだった。


自分の名前を漢字で書けない子供が五人もいる。「至極」を「ゴクラク」と読む子。「見当たらない」を「ケントウらない」と読む子。「切に願う」を「キリに願う」と読む子。


計算能力はもっと深刻だった。


p.22

日本中がこうであったということではないであろう。だが、一部の農山村における、教育の実態は、このようなものであったことは、厳然たる事実として認識しておくべきである。また、その生活の悲惨な状況についても。

戦後、まもなくの日本、決して、白洲次郎のような人間ばかりではなかった。(もっとも、白洲次郎は、かなり少数派には違いないが。)

ただ、ここで考えるべきは、無着成恭は、社会科の教師であったこと。国語ではない。ゆえに、読書感想文などではなく、伝達と思考のための文章表現教育が可能であったとすべきである。

なんのための文章表現であるのか、あらためて考えるべきである。新常用漢字についても、このところから考えるべきである。

なお、山元中学の最後の卒業式に、無着成恭の名は出てこなかった。これはこれとして、やむをえないであろう。しかし、心境を聞いてみたいという気はする(余計なことかもしれないが。)

當山日出夫(とうやまひでお)