国語辞書

2009/03/22 當山日出夫

松田清のtonsa日記
蘭学研究に便利な蘭仏辞書
http://d.hatena.ne.jp/tonsa/20090322/1237701392

私の持っているはずのオランダ語辞書、書庫のどこかにあるはずですが、今は、さがし出せない状態。(松田さんには、もうしわけないのですが。)

ところで、

実は、17〜18世紀のオランダ国民には国語辞書がありませんでした。19世紀初頭になって、フランスの事実上の支配下で、国民教育の重要性が認識され、オランダ初の国語辞典であるウェイラント辞典が刊行されたのでした。それまでは、蘭仏辞典、仏蘭辞典が国語辞典の代わりをしていたのです。セーウェルの蘭英・英蘭辞典があるにはあったのですが、教育や文化の面でフランス語の影響力は絶大であったのです。というわけで、現代の蘭学研究にも、蘭学者の利用したオランダ語原書の正確な読解には、一般語についてはハルマやマーリンの蘭仏辞典が非常に便利なのです。

の指摘は、興味深く読みました。

日本語の辞書の歴史においても、キリシタン宣教師たちによる『日葡辞書』が忽然とあらわれて、その後、明治になるまで、「日本語の辞書」というのは、無かったといってもいいのが実際。確かに、近世期に「辞書」が無かったわけではないが、実用的な用語集・文例集、といった方が適切。今、われわれがイメージするような、「ことばの辞書」というのは無かった。

この流れのなかに、『言海』も位置づけられることになるわけですが。

ところで、『前野蘭化』(東洋文庫版)を、読みながら思うこと。オランダ語の解読の方法は、訓詁注釈の学であり、例えば、本居宣長などにも通じる、という印象を持ちます。

近世期、日本における、「ことばの学」というものを考えねばならない、と思う次第。また、国民国家におけることば=国語、というものを、(これまでの国語学批判の枠をこえて)考えなければならない。

などということを『日本語が亡びるとき』(水村美苗)を読みながら考えています。

當山日出夫(とうやまひでお)