「障害者」における当事者とは誰のことか

2009-07-27 當山日出夫

これは、すでに他のところでも書かれている。結局、「碍」の「新常用漢字表(仮称)」に追加されないことになった。

http://d.hatena.ne.jp/tokujirou/20090707/1246951501

その理由は、「障害者」自身からの意見ではないから、という方向らしい。(正式な議事録があきらかになれば、はっきりすると思うが。)

立場を変えてみよう。「しょうがいしゃ」に「害」の字を使っているのは、実は、「しょうがいしゃ」である人ではなく、そのような人をそう呼んで表記している、他の人たちではないのか。言い換えるならば、「しょうがいしゃ」を「害」にしているのは、社会の普通の人々なのであり、その人たちこそが、「障害者」という表記の当事者である。

自分たち(社会全体の側)が、「しょうがいしゃ」である人たちを「害」としてあつかっているかもしれない、という意識がどれほどあるのか、ということになる。

このところの意識の発想が変わらないかぎり、無理なのかもしれない。

いやそうではなく、このように、社会の多くの人の意識が変わるようになることがまず必要である。

確認するならば、「障害者」という表記の当事者は、その表記を使用する社会全体である。

當山日出夫(とうやまひでお)