常用漢字、今年はどうなるか

2010-01-02 當山日出夫

どうも、ディスプレイの文字がぼやけて見える、これはパソコン(あるいはOS)のせいだと思っていたら、どうやら眼鏡があっていなかったらしい。まったく、歳はとりたくないものである。

ところで、いよいよ2010年は、常用漢字改定の年。さて、どうなるか。まずは、第2回目のパブリックコメントである。

最大の「課題」は、第2回パブリックコメントが、改定案についてのものをメインに募集と銘打っていること。つまり、これに直接関係しない意見は、「その他」として一括してとりあつかわれてしまう懸念である。

たしかに、2010年に決める、という当初の方針からすれば、日程上はやむをえないのかもしれない。しかし、意見は意見として、きちんと取り上げてもらいたいものであると思う。

こう思うのは、おそらく今回の「改定常用漢字表」についての、パブリックコメントで、「碍」の字の追加要求が相当数にのぼると予想されるからである。このあたりの事情は、ブログ「tokujirouの日記」(豊田徳治郎さん)に詳しい。

たとえば、
「碍」と壱岐日々新聞社
http://d.hatena.ne.jp/tokujirou/20091226/1261832876

ここは、強いて2010年にこだわることなく、じっくりとした議論を展開してもらいたいものである。そして、それを残してほしい。いまの改定常用漢字表で、どんな議論がされたのか、どんなパブリックコメントがよせられたのか、これを後世の人が見て判断できるだけの材料を残すべきである。

昨年(2009)は、公文書管理法の成立した年でもある。そして、常用漢字は公文書の表記の基本をになう。その常用漢字をきめるプロセスにかかわる文書やデータ(調査資料のデータそのもの)が、後世の再検証に耐えるだけのものであるのかどうか。あるいは、問題があるかもしれない。批判されるかもしれない。だが、それを覚悟のうえで、きちんと記録を残して、判断は後世のひとびとにゆだねよう。

ひょっとすると、今の常用漢字表の議論は間違っているのかもしれない。国語施策の一貫性とはいっても、それは、基本方針であって、その結果の正しさを保証するものではない。

かりに「碍」についての多数の意見を、「その他」に処理するようなことがあっても、それはそれとして、可能な限りパブリックコメントそのものを残すべきである。これについて、どう判断したか、このことを含めて、今回の常用漢字表の一連の議論であると思う次第である。

當山日出夫(とうやまひでお)