草仮名をコード化することの意味

2016-08-05 當山日出夫

あまり『秋萩帖』にのみ深入りしたくない。ここで考えてみたいのは、仮名の成立史というようなことではなく、草仮名を変体仮名のなかにふくめてとりあつかうことの是非をめぐる問題である。そして、それを文字コード化することの課題である。


一般的なところで、『国史大辞典』(ジャパンナレッジ)の「草仮名」の項目を見てみる。執筆は、小林芳規


仮名の一種で、万葉仮名を草体化したもの。江戸時代以来、平仮名をこう呼んだことがあったが、近年は、平仮名と区別して、仮名発達史上、古く行われた仮名体系を指している。草仮名の名称は、『枕草子』に「人の草仮名書きたる草子」とあり、『源氏物語』絵合に「草の手に仮名の所々に書きまぜて」ともある。『宇津保物語』蔵開中に和歌の書体を「草」や「女の手」「片仮名」などでさまざまに書き、『源氏物語』梅枝に「草のも、たゞのも、女手も」とあるのによると、女手(平仮名)とは別の仮名体系であったことがわかる。


この引用箇所にしたがう限り、万葉仮名(楷書の真仮名といっていいだろうか)とも、平仮名とも、異なる文字の体系である。ここから分かることとしては、草仮名は真仮名とも区別されるものであると同時に平仮名とも区別されるものである。独立した文字の体系であったことになる。


概念としては、草仮名というものを設定することは意味がある。


だが、今日において、実際の文字の字形を見て、判断できるどうかは、また、別の問題である。たしかに、楷書体の真仮名とも、平仮名(現行の文字)とも区別はできる。しかし、いわゆる変体仮名の、その個々の具体的字形を見て、何であるか判断することは難しいと言わざるをえないのではないだろうか。


JIS X 0213』の解説が指摘するとおり、漢字の草書体と区別することが困難である。それと同時に、平仮名(変体仮名)と区別することも困難なのである。この意味では、『JIS X 0213』の解説は不十分である。一般論としては、漢字の草書体と区別できないのは、草仮名であって、平仮名(変体仮名)ではないだろう。あるいは、逆説的には、この解説は、草仮名と平仮名を同じ範疇にふくめることを認定しているとも、解釈できる。


ところで、今般の変体仮名ユニコード提案の意図としては、先にしめした論文(『情報管理』)にあるとおり、その目的は、学術情報のためである。そして、この目的……具体的には、古典籍・古文書・古記録の翻字や、仮名字体史研究などになる……に役立つものをつくろうとして、仮名を見るとき、草仮名であるとして排除できるか、という問題もある。


作業の手順として、まず、近現代に活字・フォントとして存在して使用された、また、現に使用されている変体仮名を集めるところかからスタートしている。つまり、実際に、古典籍の翻字などにおいて需要のある文字ということである。この観点から見るかぎりにおいて、それを草仮名であるということを判断の理由として排除することは出来ないのである。


実際の作業として、変体仮名をあつめようとしたとき、草仮名を排除する積極的理由も、また、見出しがたいということになる。ただ、そうはいっても、あまりに漢字に近い字形(あるいは字体またはグリフ)のものは、のぞくという判断をすることにはなるが。


結論をのべるならば、草仮名というものが文字史のうえに存在することは認められる。しかし、実際の文字をえらぶ作業において、草仮名であることを判断して排除することはできないのが実際である。これは、国文学・日本文学の立場にたって、変体仮名のなかにふくめてとりあつかうのが、妥当であり、実際の作業もまた、そのようなものであった、ということになる。


また、今般の作業で、たずさわったメンバーが気づいた点としては、近代の活字、それも、変体仮名活字における、『秋萩帖』の影響という課題ある。この点については、その論考の出るのをまっている。