「鷹」は新常用漢字表に入れるべきではない

2009/05/17 當山日出夫

ここしばらく、「碍」の字の方に目がむいていた。「鷹」について考えておく。

結論からいえば、三鷹市の主張にしたがうかたちで入れるべきではない。

朝日新聞の白石編集委員の記事によれば、三鷹市は23もの熟語や格言をしめしたとのこと。だが、もし、三鷹市が「鷹」の字を入れたければ、しめすべきは、「鷹」の現実の日本語での使用例、その実態である。辞書や書物から探してきた「鷹」の字をふくむ言葉(熟語・格言など)をいくらならべても、それだけでは、説得力は無い。

(1)固有名詞は別という方針であるならば、初めから「三鷹市」の表記としての「鷹」は考慮の余地がない。固有名詞であるから、基本的には、強制的に交ぜ書きで「三たか市」になるということはない。

(2)また、動植物名は仮名で書くという方針から考えても、「鷹」が特別であるとは思えない。

だが、私の意見としては、未来永劫(は大げさか)、「鷹」を排除すべきということではない。考え方によっては、入れることも考えるべきだろう。いや、入れてもよいとも思う。そのためには、「常用漢字表」を、再度、根本的に考え直すことから、やりなおさなければならない。

それにしても、「鷹」が「新常用漢字」に入らないことによって、三鷹市は、当事者として、どのような不利益をこうむるというのだろうか。あるいは、入ることによって、どのようなメリットがあるのか。まず、それを知りたい。これは、要望を出したからには、三鷹市に、その説明責任があると思う。たとえば、強制的に「三たか市」と表記されるのは、不愉快であるとか。

このように思うのは、「碍」ときわめて対照的だからである。その主張の是非は別にして、「碍」の要望は、「広場のことば」として、十分に配慮する余地があると思うからである。

私は、以上のように思う。ただ、これは、あくまでも今回の「新常用漢字表(仮称)」の改訂についてのことである。ガラガラポンで、新たに「漢字表」を作るというのであれば、また別の発想がある。

當山日出夫(とうやまひでお)